I've been trying to find the term for this. A series of tweets in a row about the same thing, usually to alleviate the 140-character limit.
Multi-tweet essay? Multiple-tweets?
Apparently it's called a Tweetstorm.
Since RIVER OF EXPLODING DURIANS' premiere in Tokyo last October, the film has gotten some Tweetstorm from viewers in Japan. Their thoughts had been very insightful and invaluable, so I always wanted to put them here. To help myself remember.
This one's from Wanda (@Patrick_Orouet)
#エドモンド・ヨウ 監督「破裂するドリアンの河の記憶」は、うずうずの青春映画でありながら、同時に、マレーシアだけでなくアジア各国の見失われた歴史を振り返る映画であり、環境破壊と腐敗した社会状況に立ち向かう方法を巡る問いかけの映画でもあり、つまり今の日本にはないタイプの映画。
— Wanda (@Patrick_Orouet) October 30, 2014
#エドモンド・ヨウ「破裂するドリアンの河の記憶」② しかし、そういう物語的な要素の問題よりも、私には美女たちを美しく撮ることと物語の間でまるで引き裂かれるかのように映画を撮っている感じがとても素晴らしいと思った。物語として青春の映画であり、他方その引き裂かれ方は映画の青春だなと。
— Wanda (@Patrick_Orouet) October 30, 2014
#エドモンド・ヨウ「破裂するドリアンの河の記憶」③ その美しさに映画が傾斜していく様にこそ希望が宿るのかもしれないと、映画を見た後、ぼんやりと考えた。正しいか、間違っているか、社会を正せるか正せないか…そう問われると、人はいきなり追いつめられる。この社会は底が抜けている。
— Wanda (@Patrick_Orouet) October 30, 2014
#エドモンド・ヨウ「破裂するドリアンの河の記憶」④ 何かが一足飛びに解決したりはしない。むしろ解決は不能なのかもしれない。映画はそうした絶望を描きつつ、その絶望に向かっていく女性教師から、絶望ではない何かを受け継ぐ青年たちを「美しく」描いていると思う。それは理由のない美しさだ。
— Wanda (@Patrick_Orouet) October 30, 2014
#エドモンド・ヨウ「破裂するドリアンの河の記憶」⑤ 青春だから美しいのかもしれないが、青春だって解決しようがないものを抱え込んでいる。ではその美しさってなんだろう、というと、少なくとも、正しさを含め美しさを諦めていないから美しいのではないかな?と思った。正しくなければ世界は美しく
— Wanda (@Patrick_Orouet) October 30, 2014
#エドモンド・ヨウ「破裂するドリアンの河の記憶」⑥ ない、と言うと、人は苦しい。でも、美しさを諦めず、社会と向き合っているだけで、胸打つ美しさがやどるのではないか?女性教師は何か誤ってしまったかもしれないが、誤っているからといって美しくない訳ではない。むしろ美しく撮ってしまう。
— Wanda (@Patrick_Orouet) October 30, 2014
#エドモンド・ヨウ「破裂するドリアンの河の記憶」⑦ それは行為の肯定ではない(慎重にそれは回避されている)。でも、美しい。それはこの社会を生きているから、とだけいうべきなのかもしれない(でもこういうと、凶暴に美しく撮る映画としての青春はこぼれ落ちてしまう)。
— Wanda (@Patrick_Orouet) October 30, 2014
#エドモンド・ヨウ「破裂するドリアンの河の記憶」⑧ ただ、どちらにしても、他者にしても世界にしても、それを見据えようとしなければ始まらないのかもしれないし、それは忘れないということとほぼ同じだと思う。この映画はじゃぱゆきさんの記憶の映画でもあり、それだけをとっても、このマレーシア
— Wanda (@Patrick_Orouet) October 30, 2014
#エドモンド・ヨウ「破裂するドリアンの河の記憶」⑨ にあって、今の日本映画にないものを、深く考え込んでしまわざるを得ない。#東京国際映画祭 #コンペ 出品作品。作品情報はこちらhttp://t.co/PiP9vZIxx0
— Wanda (@Patrick_Orouet) October 30, 2014
After that, there is also a series of tweets from ロジオン・ろじお (@boxineman) who saw the film twice, during the festival in October, and again, at the encore screening in Feb 28. These are his tweets, from his first viewing to after his second viewing:
日本橋にて『破裂するドリアンの河の記憶』観ます。ギリギリだった~
— ロジオン・ろじお (@boxineman) October 29, 2014
『破裂するドリアンの河の記憶』@TIFF。これはまたどえらい映画、凄い才能に出会ってしまったぞ。この作品も素晴らしいのだけど、この監督、例えば10年後にどこまでのものを作ってくれるのかと今からその未来まで楽しみになったです。
— ロジオン・ろじお (@boxineman) October 29, 2014
『破裂するドリアンの河の記憶』ラストシーンの素晴らしさはそれこそ言葉で表現出来ない映画力。でもそれもちょっと詩的なモノローグがそこまで何度も繰り返されていたからでもあったりする。(しかしその素晴らしさをぶち壊しにしかねなかったTOHO日本橋のカーテン無しスクリーン…勘弁して)
— ロジオン・ろじお (@boxineman) October 29, 2014
『破裂するドリアンの河の記憶』についてはしばらく余韻に浸っておきます。
— ロジオン・ろじお (@boxineman) October 29, 2014
【2014年映画祭・特集上映ベスト】
①ヴォイス・オーヴァー
②破裂するドリアンの河の記憶
③ヴィクとフロ 熊と会う
④セルフ・メイド
⑤狼が羊に恋をするとき
⑥彼女のそばで
⑦グエロス
⑧初雪
⑨生きる
⑩影なきリベンジャー[極限探偵C+]
— ロジオン・ろじお (@boxineman) December 30, 2014
TIFFのアンコール上映、5本中4本観ていた。これはかなり充実のラインナップかと。観ていない『ゼロ地帯の子供たち』も評判良かったから観ておきたい。そして何と言っても『破裂するドリアンの河の記憶』!!!
— ロジオン・ろじお (@boxineman) February 3, 2015
『破裂するドリアンの河の記憶』に何の賞も与えなかったTIFFは本当にもったいなかったと思います。この点に関してはジェームズ・ガン監督を許さないよw
— ロジオン・ろじお (@boxineman) February 3, 2015
『破裂するドリアンの河の記憶』を再見。今回もその余韻に心をざわざわされて、電車に乗ったら遠くの終点までぼーっと行ってしまいそうだったので、とりあえず六本木から渋谷までぶらぶら。
— ロジオン・ろじお (@boxineman) February 28, 2015
『破裂するドリアンの河の記憶』記憶と夢、そして歴史あるいは社会。繊細に時に大胆に紡がれ重なっていく幾層もの物語や言葉が、最後に二人の登場人物の美しく映画の力に満ちた瞬間に辿り着く。それは余韻と共に次に踏み出す何かも感じさせ…、この最後は本当にもう一度観たかったのだよ…。
— ロジオン・ろじお (@boxineman) February 28, 2015
『破裂するドリアンの河の記憶』そのラスト、TIFFではTOHO日本橋で観たのだけど、スクリーンサイズを調整する幕がなくて、最後に画面のすみっこで起きていることが、すぐ横が灰色でかなり台無しな感じになっていたので、今回は自分的には完全版を鑑賞した気分。
— ロジオン・ろじお (@boxineman) February 28, 2015
And finally,by Hato (@hatoincident).
マレーシア映画「破裂するドリアンの河の記憶」を観た。話は大きく分けて2パートに分かれている。前半はオーストラリア資本のレアアース工場が建設されようとしている地方都市を舞台にした、男子高校生ミンと女子高校生メイアンの恋。ミンは授業をサボりがちで不真面目だが、比較的裕福な
— hato (@hatoincident) February 28, 2015
家庭出身で卒業後は海外に行こうとしている。一方メイアンは幼い妹弟を抱えた父子家庭で、漁師である父の仕事を手伝っているが、工場建設による汚染で魚が変質していることを気にかけている。後半はミンのクラスで歴史の授業を担当する女教師リムと、委員長を務める女生徒のホイリンが起こす
— hato (@hatoincident) February 28, 2015
工場建設反対運動が過激化していく話。前半と後半の変化に驚いたが、全体としてはそこまで違和感なく受け入れることができたのは、全編に印象的な音とリズムが共通していて、死の匂いが通奏低音のように漂っていたからだと思う。一番ハッとさせられるのは、せせらぎや自然の音、日常の生活音。
— hato (@hatoincident) February 28, 2015
例えば終盤でホイリンが声をあげて泣くシーンでは鶏が高らかに鳴いており、彼らを取り囲む環境について常に意識させられて、少し距離を置いた見方になる。次に編集の緩急。「あともう少しかな」と思うところで切って、直後に静寂を持ってくる対比や、現実的な暴力を描く一方で過去の記憶を
— hato (@hatoincident) February 28, 2015
白昼夢のように幻想的に挟んでくる構成が刺激的だった。死や暴力を予感させるような不穏さがあるのは、教室の外から突然聴こえる爆音、メイアンが渡ろうとする流れの向こうに倒れている動物の死体、燃やされるドリアン、汚染されている魚、虐殺を演じる授業の寸劇、この先に起こることを予測している
— hato (@hatoincident) February 28, 2015
ような彼らの顔つき。よく分からない部分もあるけれど、「卒業してもこの町に残って生きていくだけだろう」と限定された未来が見えてしまう若者と、変革を望み行動を起こす若者が同時に描かれ、青春の瑞々しい感情や希望、不安が、学校という狭い範囲だけに留まらず社会と結びついて
— hato (@hatoincident) February 28, 2015
力強く語られているのが個性的だったし、先に述べたような要素が心地良くない後味を残して良かった。
— hato (@hatoincident) February 28, 2015
いや、心地良くなさが心地良いのでは?なんて言うかな。
— hato (@hatoincident) February 28, 2015